msnエンターテイメント インタヴュー掲載

http://entertainment.msn.co.jp/696117.armx
冒頭での「ORIGINAL LOVEのリーダー」という紹介は、誤解があるように見えて、ある意味では正鵠を得ていると思う。http://d.hatena.ne.jp/originalovebeer/20040718

さて、いつもの「築地」「和風」話もある中、このインタビューの注目点は田島の「プロデューサー観」だろう。

田島: でもね、セルフプロデュースっていうのは、完璧ではありえないですよ。言い方を代えれば、自己精神分析ですからね。精神分析というのは他者がいて、できるものであって。全部を1人でやってきて間違ったことが、今はわかるし、それはbirdをやってみたりして、わかってきたことですね。こういうところは人にふったほうが絶対に早いな、とかね。

この前のくだりでは「今では後悔してるよ。絶好調のときでさえ、やっぱりプロデューサーを立てるべきだったなって。」とかなりショッキングな発言をしているけど、それもこのbirdプロデュースを経ての自己分析らしい。

ところで、その「絶好調」がいつを指すのかはもちろん本人以外には不明だけれども、東芝時代のころだと仮定すれば、当時のセルフプロデュースはむしろ彼の武器だったと思う。作詞作曲編曲はもちろん、すべてを田島貴男が中心に行うというのが、まさに「オリジナル・ラヴ」だったからだ。けれども、その「田島貴男中心」というのも、実はキハラ龍太郎だとか宮田繁雄だとかの海千山千の人たちがバックにいたからだったとも思うのだ。彼らはプロデュースこそしていないが、放っておけばどこまで拡散するかわからない田島貴男の世界をわれわれの世界に止める重要なアンカーだったと思う。

その証拠に(というかこじ付けなのかもしれないが)、そんな「重し」のなくなってしまった『DESIRE』〜『L』のアルバムは、田島世界が拡散しすぎて、それぞれの世界に反応できるアンテナを持ったファンのみにしか受け入れられないアルバムになってしまっている。*1

ところが、L?K?Oとによる、久しぶりの共同プロデュース作品*2だった『ビッグクランチ』では、大変わかりやすい形で田島貴男の世界がまとまっている。と同時に、これまでに実現できなかったレヴェルでそれを引き出すことにまで成功しているのだ。(その後の『ムーンストーン』『踊る太陽』はまた田島一人のプロデュースに戻っている)

俗な想像をすれば、田島はたぶんおだてに弱いタイプなのだと思う。だって、「田島さん、これ最高っすよ!」と言っていれば「あそう?俺もそうじゃないかと思ってたんだよ、ガハハハ」といって、さらにすごい楽想を生み出しそうな気がしませんか? L?K?Oは、もちろんその超絶的なターンテーブルテクで以ってかのアルバムに貢献したのは間違いないのだが、それ以上にそういう俗的な意味で当時の田島貴男の理想的な理解者だったのではないか、と勝手に思っている。

*1:ちなみに私個人は『L』のアンテナを持っている。

*2:1stのプロデューサーは井出靖。2ndは田島プロデュースだが井出氏が共同プロデュースしている。