SHIBUYA-AX

いまさらですが、ライヴの感想です。

前半が「ヒットメドレー」、後半がアルバムどおり再現。その構成には賛成だった。「『街男 街女』をアルバムどおりに演奏する」ということに興味があったから。以前にも書いたように、最後の2曲の"重み"は、アルバム全体を通して聴けばいっそう増すと思っていたからである。そして実際、ラストの2曲のライヴ版は決して悪いものではなかった。

しかし、前半には不満が残った。去年から今年にかけてのフェスティヴァル向けのセットリストそのまんまだったからだ。「R&R」がオープニングであるということ以外には意外性がまったくない。とくに「接吻」「Rover」「朝日」という流れには、退屈さえ感じた(「BODY FRESHER」はいいのだ。オリジナル・ラヴの「サティスファクション」だから)。
さらに致命的だったのは、アレンジがまったくこれまでの「ライヴどおり」だったことだ。オリジナル・ラヴのライヴの魅力は、生で演奏するからありがたい、なんて単純なものではない。曲が始まっても何の曲だかわからないほど徹底的に原曲を換骨奪胎するアレンジが、なにより楽しみなのだ。それが奪われてしまっては、ライヴの魅力の半分はないようなもの。おまけに「残りの半分」、演奏の方も完璧だったとはいいがたい。とくに田島の歌。これも「R&R」だけが渋めのトーンで興味を引かれたほかは、声が出きっていないことが多く、お世辞にも本調子とは思えなかった。

後半。「銀ジャケット」でキーが低くなっていたことが唯一の例外なくらいで、アレンジ自体はほぼ原曲どおり。このことは前半と違ってとくに気にならない。なぜならアルバム直後のツアーで新曲を大きくアレンジしなおすことは、実はあまりないからだ*1

ところで今回のアルバムは、奇を衒った音作りは鳴りを潜めていて、アルバム自体が「ライヴ感がある」といわれるような作り方をしている。それが実際のライヴでどう演奏されるかは、今回のライヴの大きなポイントだ。だがこれも、アルバムを凌駕するような演奏だったとは、あまり思えなかった。アルバムのような音の厚みが薄くなっていていたから。量的にはアルバムから制限された人数でやるのだから、それなりのやりよう(アレンジなど)はあったのではないだろうか。実はこのことは、ライジングサン沈黙の薔薇ライヴでも感じていたのだが、結局今回もその不満が解消されなかったことになる。*2

しかしその中でも見るべきところはあった。「死の誘惑のブルース」と「赤い街の入り口」。田島が新譜で表現したかったという「狂気」が*3、アルバム以上にこの演奏ではよく出ていたと思う。とくに後者は「LOVE SONG」をなぜか思い出した。「LOVE SONG」はORIGINAL LOVEの中でも5本の指に入る(たぶん…)ほど好きな曲なのだが、「赤い街」がそういう志向を持った曲だとは、このライヴを見るまで気づかなかった。昔ならもっともっと好きになっていた曲だろう(今ではこんな風に少し冷めた見方をしてしまうがね)。

ん?歌詞の間違い? 画面を見る限りは「カンペ」らしきものはなかったので(モニタースピーカーの後ろに大きな紙はあるのだが、とても全曲の歌詞を書けるような大きさではない。セットリストだろうと思ったのだが…)、前にも書いた理由の範囲でそれは許せた。でも、間違いは多すぎた。「モグラ・ネグラ」でだったか、木原龍太郎が「田島さんに望むことは?」というインタヴューに「僕の歌詞を間違えないでください」と答えていたのを思い出す。三つ子の魂百まで? でも作詞家としての自分に目覚めたのであれば、やっぱり完璧に歌ってほしいところだ。

さて肝心の2曲、「夜の宙返り」「鍵、イリュージョン」はどうだったかといえば、最初にも書いたとおり、決して悪いものではなかった。…なんだか消極的な誉め方だが、それはCDで聴いたあの感動を上回るようなライヴヴァージョンだったのかというときに、そこに若干の違和感があるからだ。具体的には「イリュージョン」の微妙な失踪感のなさが、少し引っかかった。どうでもいいが、前者の曲では涙を浮かべているように見えたのは気のせいだろうか。

以上は、テレビで観た感想。ライヴは生き物なので、現場の空気を感じながらなら、また違う感想にもなるだろう。最終公演は生で観るが、そのときどういう風に感じられるのか、不安は大きいものの(だってそう大きく変わることはないだろうから)楽しみにしている。

*1:例外といえば、『XL』の元になった『L』直後のツアーくらいか?

*2:ここの日記には書いてないね。後付で書くのはちょっとアンフェアかも。すまん。

*3:セルフライナーノーツ」で言っていた。