『END OF THE CENTURY』

ラモーンズのドキュメント映画『END OF THE CENTURY』を観た。
22年間、まったく変わらぬ音楽を続けきった男たちの物語。激動の音楽シーンの中で「不変」であることがどれほど大変なことか。この日記の主題であるORIGINAL LOVE=田島貴男の10数年の苦悩など、彼らからしてみればまだまだ「若僧」でしかない。

音楽的には不変だったが、その秘密がバンド内の絶妙なパワーヴァランスに拠っていたことが、この映画ではわかる。基本となるのは、ヴォーカルのジョーイとギターのジョニーの確執だった。繊細で天才肌、政治的には左寄りのジョーイに対し、頑固で峻厳、バリバリの保守派のジョニー。このまったく対称的な2人が、一人の女性を巡って対立する。経緯としては、ジョーイの女をジョニーが奪い取ったということになるのだが、しかし彼らはその後もずっと添い続けてしまうので、周囲はもちろんジョニー自身もそれを許さざるを得なくなる。けれども、見えないシコリだけはずっとこの2人に残り続けてしまう。そんな一触即発の中から生まれてくる数々の曲たち。その2人を繋ぎとめ、結果的にバンドの解体をも防いでいたのが、能天気な性格のベースのディー・ディーだったわけだ。

このダイナミックなバンド内部の事情が、実に面白いと思った。変わらぬ音楽を作り続けるためには、これほどの巡りあわせがなければダメなのだ。田島貴男がアルバムごとにスタイルを変え続けるというのは、実は本質的には同じ問題を孕んでいると思う。*1

ラモーンズについて

上では偉そうにラモーンズについて語っているが、実はラモーンズにはそれほどの知識はなかったと白状しておく。パンクはパンクでもNYのパンクであること、ロンドンのパンク(セックス・ピストルズやクラッシュ)に影響を与えたこと、「1-2-3-4!」のカウントで始まる3コードだけのシンプルなロックをすること、メンバーが全員「ラモーン」という名前を名乗ること*2、そんな程度の認識だった。

ラモーンズをはじめて聴いたのはもう結構な昔、『ラモーンズマニア』だったのだが、それが「パンク」という印象からは相当に程遠かったのを覚えている。歌詞は対訳も不要なほどの単純なものだし、ヴォーカルもなんとも頼りのない感じ。なによりもメロディが「かわいい」と形容したくなるほどのポップさを持っている上に、30曲聞いてさえもまったく違いが感じられない! 力強さをまったく感じず、なぜこれが「パンク」の元祖なのか、その偉大さなどサッパリわからなかった。
それでも暇に飽かせて何度か聴いているうちに、そのシンプルさがまるでブルースのように心地よく染みてきた。ポップでキャッチーなメロディも、考えてみればピストルズだってクラッシュだって同じで、パンク云々という偏見を取ってみれば、やはり只者でないものを感じた。だからこそ、わざわざこの映画を見に行ったわけなのだが。

時代を超える音楽

映画によれば、ラモーンズはパンクをやろうとしてパンクになったのではなかった。自分たちの音楽を自然に発散したら、それがパンクと呼ばれたのだった。

ピストルズニルヴァーナも、いま音楽だけ聴いてみれば案外「聴きやすい」と思う人は多いのではないか。MetallicaGuns N’ Rosesなども、いまのミクスチャー系から入ったような人には、結構退屈に感じられるだろう。音圧が強い音楽ほど、時代が流れてしまうと、その危険性が薄れて聞こえてしまう。いかに激しく危険な音楽であっても、そんな側面は風化してしまう。音楽それ自体だけでは、自分自身の社会的な背景を説明し尽くすことはできない。

一方で大きな衝撃のある音楽でも、必ずしも時代を超えて残れるわけではない*3。上に挙げたバンドのいずれも、自分たちの音楽を作ったら、パンクだとかグランジだとかスラッシュだとか呼ばれるようになっている。時代を超えて残る音楽は、スタイルに関係なくしっかりとした音楽をやっていたものだけだな、と改めて痛感する。

田島貴男の音楽(この日記のテーマはORIGINAL LOVEです)には、そういう芯の強さを感じる。そして、昔から田島が「ポップス」と呼んでいるのはそのことなのだろう。7月のライヴには「POP」というタイトルが付けられているが、田島はそれに一つの回答を出しているんだろうか。期待と心配。

*1:この話題については、また留保。

*2:ギターウルフはこのマネをしている

*3:例えばアヴァンギャルド系など。逆に「流行歌」の類もそうか。