2008年の鎮魂曲

クリスマスの朝、スカパー!から美しい合唱が流れてきて手が止まった。オーケストラをバックにした、自分好みの官能的なメロディ。はじめはマーラーかと思った。それが実は、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」と知って驚いた。この曲はかなり昔に聞いていたが、あまり印象にも残らずに忘れていた曲だった。まさか、こんなに甘美な旋律だったとは。

そういえば、鈴木芳樹(id:yskszk)がhttp://d.hatena.ne.jp/yskszk/20060424#p5で、「オレがもっとも愛するクラシックの作曲家はブラームス」と書いていたのに驚いたことがあった。彼が好きなのは、てっきりフランス系の作曲家とばかり思っていたのもあるし、ドイツ・ロマン派の作曲家にそこまでの愛着があるのも意外だったからだ。ましてこの曲にヤツは「ブラームス!ドイツ!レクィエム! 重厚の3点セットだ!」と揶揄していた思い出もあったから、なおさらだった。

あぁこれは彼からのクリスマスプレゼントなのかな?と思って、ナップスターで落とした。

ブラームス:ドイツ・レクイエム

ブラームス:ドイツ・レクイエム

彼が生きていれば(という仮定文を書くのは今でも寂しいのだが)、今日は38歳の誕生日。生と死の交叉する象徴的なこの一日を、今年最後の更新日としたい。

オレにとって、"今年の漢字"は「死」だ。あまりハッピーな一年でもなかったし、いくつかの死が頭の上を掠めていった。彼の死は、彼との交流の20年間の思い出の死でもあった。自分の中の一部が、ごっそり死んでしまった。友の死が、かくも絶望的なものであることを、否応なく知らされてしまった。そして、生きていればいずれ確実に訪れる、家族の死が怖くて仕方がなくなってしまった。

しかし、恐れてばかりもいられない。絶望は空しい。しかし絶望のない人生も空しいのだ。今年は「生」を痛烈に実感する一年でもあった。



このブログの本来のテーマ、田島貴男も、生と死の共存するインドで大きなものを体感してきたようだ。来年には出るであろう新作にも期待したい。

「今回、我々は
ゼロを探すという名目で旅をはじめたけど、
そもそもゼロってのはさ、
エネルギーがない状態のことじゃないんだよ。
無の状態から、粒子がいつも
ポロポロと生まれてくるような
エネルギッシュなものなんだよ。
すぐに何かが出てくる可能性を
めっちゃくちゃはらんだ
動的なゼロなんだよ」

この「ほぼ日」の記事は、彼自身の言葉で綴られた「Tajima's Voice」とも併せなければならない。

身体の不自由な物乞いの人々がいっぱいいる。祈りの言葉を口にしながら、汚れた色をしているガンジスに頭まで浸かる男と女、子供達は潜ったり泳いだりおどけたりして遊んでいる。神聖と俗の区別はない。大賑わいの商店街の中、黄色い美しい花に包まれた、火葬場で焼かれる死体の乗った担架を、4、5人の人々が大きな声で歌を歌いながら担いで通る。言うことを聞かない子供を叱りながら沐浴をしている家族のそばを、布袋に入った幼児の死体が浮かんで通り過ぎる。


ヨシキ追悼文シリーズは、これでお仕舞い。ハッピーニューイヤー。