はじめての帰省

バースデイ割引で、はじめて帰省をした。

自転車を繰り出して、幼稚園、小学校、中学校、高校をぜんぶ回ってきた。高校は実に卒業翌年以来の訪問だったので10数年ぶりだった。通学路には新しい建物がどんどんできていて、時代の流れを実感する。そうかと思うと、当時からオンボロと思っていたような家・店に限ってまだ健在だったりして、なんか温かい気持ちにもなる。

ひとつ発見をしたのが、高校生当時はほとんど「寄り道」をしないつまらない学生だったことだ。2年間通った通学路で道を1本外れると、そこはまったく記憶に残っていないのだ。今は時間の許す限り目的地にまっすぐ行くようなことはしないし、その周辺もグルグル探検せずにいられないし、そのおかげで一度通った道は忘れない特技が身についているだけに、わがことながら非常に驚いた。高校近くの商店街の店々にもほとんど思い出がないということは、買い食いさえまったくしない生活だったようだ。それにまた、高校のすぐ隣には有名な旧跡があるのだが、そこに足を止めてまともに見たのが今回がはじめてだったことも、当時の自分に呆れるばかりだった。当時も歴史モノには興味がある方だったのにね。

これまでは、「帰省」の意義なんてまるでわからなかった。実家を出たのは社会人になってからで、それでも住み慣れた地元から離れることはなかった。生ぬるい郷愁に浸るためのだけにわざわざ高いコストをかけるのかよ、というくらいにしか帰省のことを考えていなかった。だが、帰省の意義はそれだけではないことに、今回はじめて気がついた。今よりも多感な時代の風景をなぞると、当時の気持ちだとか幼さだとかが、実感として蘇ってくる。それは今の困難に立ち向かう力になってくれる。郷愁は、決して後ろ向きなだけのものではなかったのだ。

さらにまた、「自分探し」という言葉が大嫌いなこの自分に、今の生活はどこか仮物であるという甘い気持ちがあったことにも気がついた。その「本当の生活」というのは、つまるところ故郷の風景だったのだ。しかし、それは現実に「今」のものではない。「本当の自分」なんてものは、もう故郷のどこにもないのだ。今の生活は、今まさにここにある。